岩原の115系と165系。

当時のルーティンはまずは岩原駅から歩いて線路をくぐり冬季閉鎖された踏切脇から115系の場所、午後になると新日本スキー場の跨線橋を渡り民宿街から線路際のアウトカーブ定番が一日の流れ。

あの頃の天気確認は177に電話して長岡気象台発表の音声のみ。今だったらスマホで各気象サイトの詳しい天気が確認できるけど当時はそれが限界。考えてみると長岡と湯沢じゃ天気違うもんね・・。言ってみれば行き当たりばったり出たとこ勝負ってゆう感じだったなぁ。撮影に行きたくてうずうずしてるわけだから本当は天気は二の次だったもんなぁ。

銀箱担いで三脚持ってよく歩いたなぁ。定番だけど今も変わらない大カーブ・・。

1979年1月   上越線。

「岩原の115系と165系。」への6件のフィードバック

  1. 165系は3602Mと表示されてるので「急行よねやま」ですね。堂々たる12両編成の貫禄は特急に負けず劣らず。ため息が出る(笑)

  2. ありがとうございます。
    グリーン車も帯入りだしね!。

    行きたいなぁ・・。今はガマンですね。

  3. こんばんは!
    いつも拝見させていただいてます!
    急行よねやまって何?(笑)

    1. いつもありがとうございます。

      よねやまって上野~直江津の急行でいいんですよね…?Kさ~ん!。

  4. ○○さ~んって誰?(すっとぼけ)
    「よねやま」は長岡経由の上野~直江津間の急行で、車両は「佐渡」と共通運用の165系。最盛期は写真の12両+サハシの13両で1往復が走ってました。
    上野~直江津間の急行は他に碓氷峠を越えた「妙高」が5往復走ってたので「よねやま」はややマイナーな存在?だったかもしれませんね。

  5. Mなみさ~ん。だそうです。
    キノコクーラーさんありがとうございました。

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