岩原で181。

あの頃の岩原や中里へ行くスキー客はほとんどが電車での移動だったと思う。関越も新幹線も無い時代特急急行はもちろんのこと各駅停車だってラッシュの満員電車並みの混雑でスキー客を山の向こうに運んでいた。電車内では銀箱と三脚が変に場所を取り難儀したことが想い出される。そして駅からはひたすら徒歩。アノラックにオーバーズボンそしてスパッツに防寒靴のいでたち。スキー客のカラフルな格好からすれば随分と地味な服装だった。

1979年1月   上越線。

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