黄昏の頃。

茂倉岳から右へ腕を広げて国境稜線を望む駅。

関越自動車道が駅のすぐそばにありひっきりなしに車が通る。そして駅前の小さなスキー場が閉鎖されてもうずいぶん時間が経つ。

川端康成が「ラッセルを三台備えて雪を待つ、国境の山であった。」と小説雪国で書いた。

内田百閒が「出るとすぐ左に見える山の腹の斜面で、スキーをしていた。本当に辷っているのを見たのは初めてである。」と小説雪中新潟阿房列車で書いた。

引き込み線は無くなり官舎等の設備は近代化され無機質なものとなり、無人駅となった。

新幹線開業前の大動脈としての上越線に想いを馳せてもしようがないのかな。あの頃を知るものにとってはそれでも忘れることの出来ない駅であることは確かだが。

2019年12月16日   上越線。

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