困民党瓦解の地。

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明治17年11月1日に吉田の椋神社に集まり一斉蜂起した秩父困民党。

 

11月4日の新井周三郎負傷の報により秩父大宮郷が完全包囲されたことを悟り本部解体の後、

信州北相木村出身の菊池貫平率いる一隊は矢久峠を越えて白井の集落より更に十石峠を越え

此処馬流の地に11月8日にたどり着く。

11月9日未明、高崎鎮台の約100名と岩村田に集まった100名以上の警察官は

ほぼ同数か少し多い困民党軍に最新式の村田銃の洗礼を浴びせ、天狗岩前の田畑で交戦した。

火気に劣る困民軍は更に海ノ口から野辺山へと向かい四散し戦いは終わる。

 

キハが通り過ぎる天狗岩の下。困民党最後の集団交戦地がまさに此処だったのです。

 

 

2016年1月4日                 小海線   馬流~高岩。

 

 

 

 

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