東大宮にて。
塀の上に一人、その先の架線柱の影に一人。
昨今、山の世界では空前の百名山ブームらしい。
深田久弥が定めた日本の100の山々。
そもそも登山という行為は登山者各人によって登られるものだし、そこで感じる感動の種類や感性の
違いがあるのは当然だ。
もちろん季節に合わせて色々な山に登っても良いし、ひとつの山に通い続けるのも良いであろう。
登り方も、岩登りでも良いし沢登りでも、そして縦走でも、それぞれ各人の好みである。
そういう意味では、バリエーションルートの開拓にも一理ある。
但し、ひょっとして、山岳雑誌のきらびやかなグラビアに載っているとおりの場所やそしてお決まりのルートでしか
山に行ってない人も大勢いるのだろう。
さらに中高年の金にものをいわせた、コンパスと地図を持たない不安全登山を見事敢行している人も。
はたして、パイオニアワークの精神を持って山と対峙することが、どれほどの発見と感動を
感じることが出来るか知っているのだろうか。
100名山は山そのものとしては、あくまで人の選んだ100の山でしかない。
いってみれば10名山でも1000名山でも何ら数の限定であって根拠は選定者本人の
決まりによって選ばれただけなのだ。
つまり、どんなにかっこ悪くても、自分が納得できるテーマを自らひとつ決めてそれが
創造的であるか自問自答する。そうすれば自分の山登りが出来ると思うのだが。
当時兄貴がよく言っていた言葉
「兄弟で同じところに撮影に行って隣に三脚を立てて撮ってもつまらないだろ」
「自分で場所探しして撮ったほうが面白いぞ」
同じ趣味をしていても一緒に肩を並べて撮った記憶があんまり無い。
塀に上には珍しく 兄貴!
1976年8月 東大宮操車場。