トッテツの跡。

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母方のおじいちゃんが亡くなったのは、小学校6年のときだった。

 

 

小学校4年のときから長い休みになると、独りで、田舎の親戚の家へ行っていた。

 

その頃住んでいた大宮から、初めて一人で「とき」に乗り新潟は見附へ。

駅まで送りに来てくれた母。扉が閉まると涙が出てきた。

途中のことはあまり覚えていない。ただ乗り過ごさないよう到着のアナウンスを聞き逃さないよう

していた。座席には座らず、デッキに立っていた。

見附の駅のホームにはおじいちゃんが待っていてくれた。

 

長岡の悠久山に親戚がいて、見附から「栃鉄」に乗っておじいちゃんと長岡に向かった。

途中具合が悪くなり走る電車の窓から吐く自分の背中をさすり気遣ってくれた。

 

おじいちゃんが亡くなったのは突然だった。

その年も夏休みに新潟に行き9月の新学期が始まってすぐのある日。

「栃鉄」に乗り見附温泉に行く予定で朝方家族が起こしにいったが調子が悪そうで、次に声を掛けたときには、すでに亡くなっていたとのこと。

 

報せを受けて、急遽学校を早退して「とき」にのり新潟へ向かった。

 

 

 

浦瀬の手前。

今でも「栃鉄」の線路跡が残っている。

小学4年だった自分が景色を見ている。

 

 

2009年7月             見附市内。

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