会津の先生。

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秩父困民党のことを知ったのは今から25年ほど前のこと。

大河ドラマで、戊辰戦争の生き残りとされ登場する”会津の先生”。
実在したかというと名前も明らかではないが、確かに会津から来た人物がいたそうだ。

自由民権の旗印の下、関東一斉蜂起を夢見て散っていった人々。
新式村田銃の洗礼を受け遠く信州の地で果て、
その後遠く北海道の地まで下った人もいたという。

会津鶴ヶ城の容保公の肖像写真を見るたび想う。
果たして、望みは何であったのかと。
時代こそ過ぎたが、おそらく、秩父の人々とどこか同じ思いではなかったのかと。

その頃、会津を旅したとき、ふと立ち寄った田舎の雑貨屋で、米や味噌を頂き野宿し続けたことを思い出した。
素朴な中に強さを秘めた人だったように記憶する。

旅の途中、会津川口駅で汽車を降りたのは遠い昔。

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