土合駅。

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昭和6年に上州と越後の間に風穴を開ける。

幾星霜の年月を重ね、新幹線の時代が近づきつつある。

 

181系とEF16。

待避線や官舎そして山宿が残る歴史ある駅。

 

そして時代が進み、待避線や官舎は無くなり、山宿は静かになってしまった。

 

 

岳人と呼ばれた彼らも歳をとったのだろう。

在来線を使うことなく新幹線で温泉宿に物見遊山にでも出かけているのか。

 

静かな山峡の駅を見にまた出かけてみようか。

 

 

1980年8月                      土合駅。

 

雨あがる。

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隆起した山がなんとも浅間山北麓の景色だ。

鎌原観音堂はここからそんなに遠くない。鬼押し出しだって。

 

絶えず地下からのエネルギーを感じる。

そんな吾妻路。

 

川の色だって違う。今は無き小串鉱山をはじめとするたくさんの鉱物資源に湧いた過去。

戦中、吾妻線誕生の歴史はそれら鉱物輸送が源流となっている。

 

 

地球誕生からの時間にしたら、此処にこうやって電車が通り過ぎることなんてほんの一瞬。

雨上がりに特急草津がやってきた。

 

 

1980年8月                        川原湯~長野原。

 

関東平野のはじまり。

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荒川を望む。

波久礼の喉を過ぎていよいよ平野へと奔流する。

 

戦国時代の名山城。鉢形城はこのすぐ下。

北条氏に対する小田原攻めの際、前田利家や上杉景勝らの連合軍により包囲され

1ヵ月の篭城の末、開城したと言われる。

まさに、要害だったのだろう。

 

 

左に眼をやると今の時期にしては雪の多い男体山が見えた。

裏の尾根を越えれば赤城から榛名、浅間だって見えるはず。

そして秩父の重厚なる山塊が・・・。

 

 

本当にはじまりなんだな・・・。

 

 

2011年4月20日                      鉢形~玉淀。

 

小さなサミットの小さな踏切。

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地元の人が結構通る。

ちょっとした用事・・・散歩・・・、小さな集落同士の行き来に・・・・・。

 

車は路肩欠損でゲートがされているので来ることはないが、しっかりと警報機も遮断機も生きている。

新しく出来た遠回りの山越えよりも、よっぽど便利なのだろう。

 

 

モータリゼーションによって寸断され時間軸の地図によって破線となった道路。

どっこい生きている。

 

 

「こんにちは」と、挨拶を交わす。

そんな小さな峠道。

 

 

列車が通り過ぎると、葉擦れの緑は柔らかい音を奏でる。

そんな小さな峠道。

 

 

2011年4月20日                   折原~竹沢。

 

萌黄の頃。

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名も知らないたくさんの鳥が競う様に鳴き谷にこだまする。

 

森は今か今かと新しい息吹に萌え始める。

 

風がそよぐ陽だまりの山の中。

 

 

ディーゼルカーがタイフォンを鳴らし少しばかりの勾配にエンジンをふかし登ってゆく。

 

 

丘陵の詰まり。奥武蔵のふところ。

 

 

2011年4月20日                  折原~竹沢。

 

秩父往還から。

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その昔、秩父往還は波久礼の渡し場で荒川を渡り、さらに風布を抜け釜伏を越え三沢に下るのが一般的であったようだが、戦国時代の金尾山城の要害としての金尾峠も少なからず通行はあったようだ。

 

明治の末には、荒川沿いの渓谷に片持ち梁のような無理やりというべき道を造った。

武甲山の石灰石採掘のために造られた秩父鉄道の線路はその荒川が一段と狭くなる喉のようなところを恐る恐るくぐってゆく。

 

樋口に出る少し手前、少しばかり土地が開ける。

金尾峠からそんな集落が見える。

徳川吉宗の時代、寛保二年の七月の大洪水はこのあたり一帯をすべて濁流が飲み込んだそうだ。

樋口には洪水水位磨崖標がある。

 

目を閉じる・・・・・。

 

 

今は長閑な山里。

電車ものんびり走ってゆく。

 

 

2011年4月14日                     波久礼~樋口。

 

善導寺にて。

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今日もよい日だ。

 

善導・・。なんとよい名前のお寺だろう。

庭の手入れをされていた住職さんと少しばかりの立ち話。

とても気さくで穏やかな方でした。

 

 

震災で訪れる人も今年は少ないそうで、お賽銭も・・・。

こんなところまで影響があるんだなぁ。

 

 

境内で撮影させていただいたお礼に僕も少しだけどチャリーン。

 

 

2011年4月14日                  寄居~波久礼。