雨後の荒沢岳遠望と枝折峠と銀の道そして村杉。

先日ふらりと行った自動車道の枝折峠から銀の道へ向かう道すがらからの荒沢岳。スラブを伝う水流が白い滝となって雪渓に飲み込まれてゆくのが見える。10年ぐらい前に高さんと二人釣りに行った折この雪渓まで行ったことを思い出した・・・。

 

 

ところで、その銀の道についてだが、それは湯之谷村駒の湯から旧枝折峠を越えて銀山平石抱橋へ至る、いにしえの道ともいえる街道なのだ。尾瀬三郎伝説に始まり江戸時代には銀山採掘の搬出入で賑わい、さらに近世になり地元の一部の人々が春から夏の終わりにかけ山の中へ出作り小屋を掛けぜんまいをはじめとする山菜の採取や狩猟を生業としてきたところへと繋ぐ大切な峠道だった。所々残る地名には往時を忍ばせる地名が今なお残る山深き道なのだ。

村杉の先代のおじいちゃんが夫婦して出作り小屋へ向かうのに小さかった今のご主人を負ぶって越えたと聞いた難儀な峠道でもあった。

 

そして、この枝折峠はちとややこしい。旧枝折峠がいつの間にか自動車道にその名を乗っ取られ大明神は明神峠などと呼ばれさらにややこしくなってしまっている。元々大明神とは木花之佐久夜毘売を祀ったお堂のあるところを指してその傍を枝折峠としていたのが正解のようだ。だから本当の枝折峠は銀の道を越えて行かないとたどり着けない。

 

銀の道・・・。

 

 

釣竿を持たずに立ち寄った村杉ではいつものようにご夫婦して笑顔で迎えてくれた。身の丈に合った経営だと謙遜する穏やかな表情に癒されたひと時だった。旧村杉小屋の隣の開高さんゆかりの林業事務所の解体に立ち会えたのはこれまた何かの縁かと想い銀山平を後にした日だった。

 

 

2017年8月23日     湯之谷村 銀の道界隈。

 

夏の毛渡沢。

挨拶を交わし釣り人とすれ違う。

貨物が往き片付けを始めると彼は川に降り写真の左下のあたりでイワナを釣り上げた。釣り人と鉄・・違う趣味だけどマナーだよねぇ。

釣り人にグッドラック!。

 

 

2017年8月27日     上越線   土樽~越後中里。

岩原進入。

フランジをきしませホイッスルを鳴らしながら駆け下りてくるあの頃の音は聞こえない。でもEH200嫌いじゃないよ。

四ツ目ライトがかっこいいね。

 

それにしてもこの写真D500に300ミリ単焦点なので450ミリだって・・・。

当時じゃ考えられない焦点距離だよ。

 

 

2017年8月27日     上越線   岩原スキー場前~越後湯沢。

129系疾走。

画面右端に雲がかかっているのが越後駒ケ岳。

先日何年か振りにふらりと枝折峠を越えて銀の道の手前まで行ってきた。山登りとは言えないちょっとした散策。お目当ての雲海はさっぱりだったが荒沢岳には普段見えない雨後の滝が見えていたっけ。

越後川口あたりから湯沢は大峰まで駒ヶ岳中ノ岳八海山が良く見えるが場所によって見える順番が変わるあたりが面白い。

そんな山々の上、上空に寒気が入っている証拠の巻雲が広がり秋の気配を感じる。

新型車両は此処が生きるところであるのを見せつけるように車窓の景色にタイフォンを鳴らし挨拶して過ぎていく。

 

ガンバレ129系!。

 

 

2017年8月27日         上越線   浦佐~五日町。

 

魚沼産コシヒカリって・・・。

知らない人はいないブランド米「魚沼産コシヒカリ」。

精米業者販売業者によって味が違うのが当たり前の世の中だんが近頃はどうなんだろうか、何しろ値段が高くて買われない。去年地元の人に少し分けてもらったけどやっぱりうんめかったなぁ。うちは今のところ「こしいぶき」ばっからてぃ。

 

この景色ある意味うんめそうに見えるこて。

 

 

2017年8月27日       上越線   五日町~六日町。

 

夏の終わり。

天気予報に誘われふらりと。

真夏の暑さは無く秋に向かっているのが空の高さでわかる。

 

 

六日町の友人はほくほく線から始まる小さな旅に出かけたとの事。

今頃、115系の奏でるモーター音に乗り短いレールのジョイント音に心揺られていることだろう。

社のご神木の造る日陰で煙草を燻らすと列車が駆けて行った。

 

 

 

2017年8月27日       上越線   六日町~塩沢。

 

 

刈入れの後のミヤハマ。

東大宮~蓮田の景色を原点と想うか?。

小学校高学年の時、兄に連れられ始めて訪ねた。

中学に上がり一人でも撮影に来るようになった。2年生の夏休みには42日間の休みの間38日此処ミヤハマ(東大宮~蓮田)に通った。

ならばやっぱり原点だよね。

1983年11月     東北本線   東大宮~蓮田。

あけぼの。

昨日の台風でサンライズの運休をニュースで聞いた。

夜行列車たったこれだけになってしまったんだ・・・。

遠く九州から山陽や関西も、そして上野に着く東北や北陸からの列車たち。

みんな無くなってしまったんだ。

需要と供給のバランスとは言うけれど供給する側の問題はなかったのだろうか。

分割民営化で自社の利益だけの追及の挙句がそういった列車の存続に影響したのではなかろうか、早く不採算の列車や線区をつぶしたかっただけの話だといわれても仕方がないやり方だったように思う。組合も弱体化し問題提起する間もなく現在に至るような気がする。

しかし、庶民の為の列車が無くなる中であの媚びを売るような豪華列車は生き残れるのだろうか、今は物珍しさとマスコミの宣伝でチヤホヤされているがあの列車のリピート率ってどんなもんなのだろう。インタビューされる乗客は何某の記念にと高額な料金を払うと言う。この先何月までは予約がいっぱいだとこれまたマスコミに煽られ更に高級ボケしたツアーパック式旅行しかできない成金ジジイと厚化粧ババアが卑屈な笑みを浮かべ揉み手して待ち構える地方へと赴く。年金天国の今はいいだろう。もうすぐ年金氷河期がやってきてそんな連中はみんな寿命が尽きて残るのは今でさえ一部の金持ちだけどさらにそんな連中は少なくなっていくだろう。そしてその後残るのはあの頃のジジイとババアはよかったなんて回想するジジイとババアだけの世の中だ。豪華列車に未来はあるのか。

乗りたい列車はありますか・・・。

そう これからも乗りたい列車は走りますか・・・。

東大宮と蓮田の景色の中、あけぼのが行ってしまった・・・。

これからも見たい列車を見れますか・・・。

1983年11月    東北本線   東大宮~蓮田。