やっぱりいい色だよ。
この際残りの115も新型129も全部この色にしちゃえ!。
2018年1月31日 自宅にて(写真は1976年ぐらいかな)
ってなんか宣伝みたいになってきた・・・。
詳しいことは以下にお問い合わせください。(完全に宣伝???・・・だってこれらの部品は友達のよしみでタダで頂いたものなので)
http://www.ns-craft.com/ 機械加工屋 NS工作
http://www.ns-craft.com/shop.html NSクラフトShop
また野宿しましょう。
ちなみにこのあいだはありがとでした。(ビムラムソールはいつ張り替えようかなぁ)
2015年8月31日 ホエーブス725・自宅にて。
3月に梅の花を探してうろうろしていたら桜の木が目に付いた。
平日だというのに撮影に来ている人がちらほら。
「此処よか向こうがいいよ、線路を渡って来れますよ・・・。」
・・・なんで群れるの。
自分の撮りたい構図で撮っているのに大きなお世話だ。
人と一緒ってそんなに楽しいのかい。
写真を撮るのではなくて撮影談義や世間話をしに来ているのかな。
挙句にもう少し先の撮影地では自分の後ろにいた人がもっと前かなと言いつつ突然僕を通り越して前に出るし、構図に入りますよと言ったら遠くに列車が見えているのに、あわてて線路のバラストを走って戻ってくる始末。タイホォン鳴らされちまったよ。怪我をしたり列車を止めたらどおするんだい。
まぁ、撮影している僕を見て列車来るのですかと言って撮影しているぐらいの人だからしょうがないか。
結論。やっぱりお立ち台や他の撮影者がいるところでは撮影してはいけない。いや、そういうところには近づかないこと。
久しぶりに疲れた。(決して怒っているのではありません、自分自身も含めて呆れているのです)
2012年4月某日
某撮影地。
今日、本を買ってきた。
編集発行元でもある、見附のあさひ印刷所を訪ね、編集にも携わった社長の小川作蔵氏に
お会いして、この「懐かしのトッテツ」を買い求めた。
突然お邪魔したのにもかかわらず、色々とお話をお聞かせ頂き、更にはお茶までご馳走になり
この場を借りて改めて御礼を申し上げたく、また、著書の写真掲載も快くご了解頂き、本当に
ありがとうございました。
田中角栄氏の言う「右肩上がりの上りの時代」。地元の足として、今なお鉄道ファンのみならず
そこに暮らしていた人々の記憶に残る鉄道であったことを誇りに思う。実際自分には写真こそ
無いけれど何度も乗った栃尾鉄道。
優しかったおじいちゃんと上見附から一緒に乗った「トッテツ」
扉を開けっぱなしでガタゴトガタゴト短い鉄橋もゴゥゴゥ走った「トッテツ」
悠久山のはずれ、遠く緑の田んぼの上を音も無くすべる様に走っていた「トッテツ」
上見附駅までの小路だって忘れない。
夏の日のコールタールのにおい、冬の雁木通りの足元、長靴の冷たさも忘れない。
トッテツあぁまた乗ってみたい夢の中でも。
「懐かしのトッテツ」のお問い合わせは
(有)あさひ印刷所
住所 新潟県見附市本町2-15-9
電話 0258-62-3056
旧上見附駅のすぐ近く、廃線を訪ねるかたわらお問い合わせお買い求めください。
2009年9月10日。
夏休みも終わりに近づいてきた。
定番ポイントを行くゴナナ。
この頃のラインナップは、フジカST801・50mmと135mm。
クリーニングペーパーとシリコンクロスそれにプロアは欠かせない。
撮影から帰るとすぐに掃除をして、レンズも、ボディもいつもピカピカだった。
しかしその後の下取りの繰り返しで当時の機材はほとんど残っていない・・・。
でも・・・・・。
あるんだなこれが!
先日中古ショップで手に入れた801。
当時の姿そのままに、完全稼動品。
ダイオードも光るし、レンズもバッチリ。
だってEBCフジノンだもの。
銀塩カメラ、捨てたものじゃないねぇ。
当時の記憶が甦る。
さぁきれいにしなくっちゃ。
1976年8月 東大宮~蓮田
2009年6月 自宅(フジカST801)
「村杉」こと、佐藤さんちのスノー君。
釣りの季節、銀山平で我々が見る彼は、散歩と昼寝ののんびり犬。
ひとたび冬季の猟期となれば、イングリッシュセッターの血が騒ぐ
れっきとした猟犬。
物言わぬ彼の眼差しの先には何が見えているのだろうか。
不言実行タイプかな。
村杉とは・・・。
銀山湖の釣りと周辺の山野草を廻るトレッキング、もちろん越後駒ケ岳、荒沢岳等の登山基地。
奥只見丸山スキー場にも近い、天然温泉の銀山平の宿。
もちろん、なんにもしないで、ただ川を眺め、山を見上げ、飄々と佇むもよし。
そんな気さくな宿です。
http://www.okutadami.com/ 村杉ホームページです。
夕暮れ間近、路面が凍り始めた。
わざと滑らせたりして。
楽しかったりして。
背中から今日最後の陽が差し込んで、思わず車を止める。
西の空のため息に、心がざわめく。
さぁ、帰ろう。
塩沢の農免道路。
母方のおじいちゃんが亡くなったのは、小学校6年のときだった。
小学校4年のときから長い休みになると、独りで、田舎の親戚の家へ行っていた。
その頃住んでいた大宮から、初めて一人で「とき」に乗り新潟は見附へ。
駅まで送りに来てくれた母。扉が閉まると涙が出てきた。
途中のことはあまり覚えていない。ただ乗り過ごさないよう到着のアナウンスを聞き逃さないよう
していた。座席には座らず、デッキに立っていた。
見附の駅のホームにはおじいちゃんが待っていてくれた。
長岡の悠久山に親戚がいて、見附から「栃鉄」に乗っておじいちゃんと長岡に向かった。
途中具合が悪くなり走る電車の窓から吐く自分の背中をさすり気遣ってくれた。
おじいちゃんが亡くなったのは突然だった。
その年も夏休みに新潟に行き9月の新学期が始まってすぐのある日。
「栃鉄」に乗り見附温泉に行く予定で朝方家族が起こしにいったが調子が悪そうで、次に声を掛けたときには、すでに亡くなっていたとのこと。
報せを受けて、急遽学校を早退して「とき」にのり新潟へ向かった。
浦瀬の手前。
今でも「栃鉄」の線路跡が残っている。
小学4年だった自分が景色を見ている。
2009年7月 見附市内。
十勝平野のはずれにある一本道。
此処にはほとんど車は来ません。なぜなら裏には浄水場の施設があるだけだから。
風の音と、小鳥のさえずり。
あとはほんとうに何もありません。
残念だけれど、今はもうない景色。
そしてプロフィール。
鬼は外。福は内。
昔は近所のそこここから子供たちの声が聞こえたものだ。
今は内なる鬼を吐き出し、福をもたらせたいものだ。
心があの頃の景色を欲している今日この頃。