おととしの梅雨の頃は。

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梅雨明けが昨日だったとテレビや新聞が告げる。

 

 

記憶と記録を紐解いてみると、一昨年の今頃は此処へ来ていた。

 

どんな気持ちで山を登ったのだろう。

 

 

くすむ心の中、燦燦と降り注ぐ太陽の下の景色を願っていたのだろうか・・・。

 

 

今も夏の日に願い続ける景色は、気持ちよい汗が腕の先、血管が浮き出る手前、手との間の関節あたりにちょうど玉のように毛穴から噴出す時間。

人差し指で汗をはじく。

汗が地面へと落下する。

 

あぁ気持ちよいと・・・。

空を見上げる。空を見上げる。

 

 

2009年7月11日                          石打~大沢。

 

イベント列車のはしり。

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無理やり着けたヘッドマーク。

 

999をはじめに色々と手を変え品を変え。

この頃からそんなミステリーだの、団臨だのの列車が増えていったような気がする。

 

最近そんな風潮はさらに助長されているような・・・。

今更ながら静かに写真は撮りたいものだ。

 

 

1980年8月                    蓮田~東大宮。

 

昼下がり、キハ。

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戦時中東松山駅西にある、今は外資系企業になった工場へ勤めていたという

おじいさんとしばしの話。

 

当時作っていた戦車のエンジンはディーゼルだった。なぜなら、ガソリンに比べて

気化性が低く、装甲を破損してもすぐには爆発しないからだそうだ。

戦争末期には、ドイツの潜水艦のエンジンも関係していたようなことも語っていた。

また、当然のことながら工場も空襲を受けて、トイレの窓から見る松の木に

機銃掃射の弾跡が戦後しばらく残っていたとも話しておられた。

 

懐かしそうに、穏やかに・・・おじいさんは鍬を片手に、畑へ向かって行った。

「よい写真が取れますように」

「はい、ありがとうございます」

「なに、あんたが東松山だって言うから、つい懐かしくて・・・」

「いえこちらこそ、ありがとうございました。

「それでは」

「それでは」

 

 

そういえば、外資系企業は今、ドイツ資本のメーカーだっけ。

もちろん自動車の燃料ポンプを造っている訳で、潜水艦ではないけれど・・・。

 

 

昼下がり・・・。しばらくして、キハがディーゼルエンジンも軽やかに下っていった。

 

 

2011年6月8日                     寄居~折原。

 

秩父往還の咽喉。

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分厚いよう壁に守られて、荒川の渓谷にしがみつくように、旧140号と秩父鉄道が併走している。

 

よくもまぁ昭和の始めにこんなところに鉄道を作ったものだ。昭和5年といえば上越線清水トンネル開通の年ではないか。考えてみれば日本の土木技術はそれだけ高かった証だろう。

 

たぶんその後の何度かの補修で分厚くなったのであろう、よう壁。

セメントと武甲山石灰石。

よう壁を見ているとなぜかデキともマッチする。

 

 

2011年6月8日                 波久礼~樋口。

 

陽が差してきた。

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今朝の天気予報。

だんだんと北のほうから晴れ間がのぞいて来るでしょう・・・。

 

 

天気予報どおり。

雲が動き薄日が差してきた。

 

 

東武東上線・・・明治末期に計画を発し大正時代に遠く児玉、高崎、渋川までの北関東上州へ繋ぐ計画であったため東京と上州という意味合いで東上線となったそうだ。寄居以北は八高線の開業に伴い中断した経緯がある。また2期計画では今の上越線と同じ長岡までの計画があったというからさらに驚きだ。

 

 

ひょっとしたら、三国の分水嶺を越えて魚沼の地に5700やDRCが・・・。

まぁ、日光みたいに国鉄とつばぜり合いをする東武だからその時はどうなっていたことか。

なんてね。

 

 

2011年6月8日                     東武竹沢~男衾。

 

梅雨の晴れ間にデキ。

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天気がよさそう?。

朝起きてみるとドピーカンではないけれどとりあえず行ってみる。

 

いつものようにデキがやってきた。

 

 

それにしても、花粉症が辛い。

雨もまた恋しからずや。

 

 

2011年6月3日                       武川~三ヶ尻。

 

湯檜曽駅を見下ろして。

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うろうろとしたのだろう。

前出の旧湯檜曽駅の周りはタイムスリップしたかのような不思議な空間だった。

 

「とき」が目の前を通り過ぎて、警戒音のこだまとともに駆け下りていった。

 

 

1980年8月                        土合~湯檜曽。