久しぶりに見たのだけれども。
思い込みで郷原駅だと思っていて改めて他の写真を見たら此処は違う駅かも・・。
この時も一緒に撮っているのは仲間だけ・・左端に彼の三脚・・・。
1981年7月 吾妻線。
久しぶりに見たのだけれども。
思い込みで郷原駅だと思っていて改めて他の写真を見たら此処は違う駅かも・・。
この時も一緒に撮っているのは仲間だけ・・左端に彼の三脚・・・。
1981年7月 吾妻線。
たぶんブローニを使い始めてすぐの頃の撮影だった様な。
あの頃のリバーサルは緑カブリがひどくて・・でもそれが、らしいと言えばらしかったような気もする。少しだけ直してみたけれど・・。
EF16はもうすぐ引退、ロクヨンの1000番台が入る僅かな時間ロクヨン一般型が運用に入っていた頃。
1980年7月 上越線。
新潟に行くのには上越線がメインルートのあの頃。
それより前の時代は関東と日本海側とを結ぶ大動脈であった信越本線。その昔碓氷峠までの松井田などにもスイッチバックがあったようだが、同じように長野から直江津までにたくさんのスイッチバックの駅があったとその頃知った。
ゴハチではなくロクニが行き来する場所だった。
今でも二本木駅にスイッチバックが残っている。勾配の続く場所・・。
あれっ、隣の115のヘッドライトはどうしたんだろう・・・。
1979年8月 信越本線。
EF12を覚えているだろうか。
ゴナナと同時代に作られた貨物機だ。
吾妻線や両毛線で活躍した高崎第二機関区のカマ。
末期には貨物だけではなく団臨等で随分と撮影させてもらった。
今では八ッ場ダム建設の為に線路付け替えとなってしまった区間での撮影。
1979年8月 吾妻線。
当時の上越線の定番構図。
今この構図では撮ることができない。
そんなところが多いのは当たり前。時代が過ぎれば・・・。
1979年8月 上越線。
岩原と言えば中里寄りのオメガカーブが今でも有名かと。
湯沢寄りの此処も良かったなぁ。
左の下り線のバラストがやけに赤いのは下り勾配のブレーキの跡かな。
信号機も雪国仕様なのも懐かしい。
1979年7月 上越線。
久しぶりに石打の夜。
この頃は駅前はもちろん補機の付け替えで一晩中明るい駅だった。
雨の夜だけど傘をさしてバルブしていたのだろう。日付を見ると9月、高校の文化祭代休を絡めて撮影に来たようだ。
1979年9月 上越線。
同じ電車しか来ないんだよね、もっともダイヤも持たずに来ているので当たり前か。
しかし列車密度がすごいねぇ、各駅停車はゆうに及ばず貨物もそこそこ来るし。
客レや特急、急行懐かしいなぁ。
2023年8月25日 東北本線。
1975年中学1年の夏休みは正にミヤハマ漬だった。最後のゴナナを追いかけて来る日も来る日も朝から夕方まで運用を追いかけて撮影していたっけ。記録を見ると合間に上越線なんかにも撮影に行ったけど基本ミヤハマ詣でだった。
今日久しぶりに訪ねてみた。誰もいないなぁ。
あちこちウロウロしてみたが想い出が多すぎてあっという間に時間が過ぎる。402だの102、123、122そして6101・・・。ゴナナが駆け抜けていった。いまだにミヤハマのそれら通過時間はしっかりと覚えている。
夏の昼下がり13歳だった自分が汗を流しながら撮影していた。
2023年8月25日 東北本線。
大源太山から昇る陽はやがて大きなオメガカーブに差し込む。
遠くに苗場山を望み田起こし前の残雪が融けた水たまりに青空を映す。
窓下の狭いサッシに片肘をついた君は見ているのだろうか素敵な朝を・・。
素敵な朝を・・・。
2023年4月3日 上越線。