野辺山ヶ原。

いつも思うのだが開拓地は何処も力強い。そしてどことなく寂しい。

 

かつて原生林だったところを人の手で切り開いたところは一見殺風景だが大地からひしひしと人々の営みが感じる。

大きな切り株を掘り起こすのは大変だっただろう、水を引く水路作りはどんなだったのだろう。寒冷地が故冷夏の年の生活は困難を極めたのでは・・・。

戦前戦後の開拓は北海道の屯田開発の頃とさして変わらない機械化とは程遠い人力によるもでさらに昭和30年前後の国や県の政策よるいわゆる人間の放牧ともいえる集団集約農場の政策は農協資本における機械化の裏にある借金経営で開拓民を縛り上げてきたのではなかろうか。一極集中は都市部に限ったことではなくて農村にも当てはまる。一部の成功者による大規模化とやがて離農者になるであろう貧困農場の構図。大規模機械化が出来てもその後起こる後継者問題・・・。こんなことを言うとマイナスばかりに思えるかもしれないが北海道の開拓地に付きまとうトライアル&エラーを見てきた自分にはどうも同じに見えてしまうのだ。

昭和40年代に始まった清里や野辺山の観光ブームで駅前や国道沿いの民宿ペンション土産物屋の乱立が始まる。50年代前半に清里へよく行ったのだかあの頃がピークだったようで今は昔ほどの賑わいは無いように思う。そして今はさらに外部資本によるトライアル&エラー・・・。

 

野辺山や清里の歴史を知りたいと思った。もっと地元の人に話を聞きたくなった。

なぜかそんな思いが湧く開拓地・・・。

 

 

 

2018年1月2日   小海線   信濃川上~野辺山。

 

 

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