吾妻霜取り。

天気が良い日に出かけたいなぁと思っていたここ数日。

冬型もそう強くなく雪雲が流れ込む心配のない日に車を走らせる。正面には上越国境のモルゲンロートに染まる山々を眺めバックミラーに朝焼けを映し関越を飛ばす。

ちらほらと鉄の方々を見かける。さすが人気だねぇ。

 

やがて山にモーター音がこだまして鉄橋を渡る音を響かせ列車がやってきた。

今朝も霜取りご苦労様です。

 

 

2018年2月14日       吾妻線   祖母島~小野上。

ダンプ道路へ行ったけどこっちも捨てがたい。

きのこさんは北長岡~押切の跨線橋で撮ってるらしい。

返しは合流の旨連絡がある。

合流し暫くするとN氏がジムニーで現れ暫し歓談ののち一緒に撮影。

N氏も前日は越後赤塚に居られたとのこと・・・。世間は狭いなぁ。

2018年1月29日      信越本線   見附~帯織。

 

 

 

 

西蒲の地で。

新潟市西蒲区って今では呼ばれている。

西蒲原郡から西蒲区・・・。わかるけどちょっとなぁ・・・。

なんか違和感があるんだよなぁ。

 

平成の大合併で由緒ある地名も無くなってしまった。

 

 

それはさておきこの夜は昔の新潟の仲間と一献楽しかったなぁ・・・まぁいつものことだけど飲みすぎ。

 

 

2018年1月28日        越後線   越後赤塚~越後曽根。

 

懐かしい新潟の色。

懐かしい色は列車の塗色だけではない。

空の色と角田と弥彦も・・・そして吹きさらしの田んぼの色も。

 

懐かしさの中に厳しさや切なさも交じってそれでいてなぜか落ち着くのはなぜだろう。親父やおふくろが生きた土地だからだろうかそしてその子だからなのかもしれない。

 

 

2018年1月28日       越後線   越後曽根~越後赤塚。

塩田平の空。

お昼過ぎに菅平の仕事が終わりそのまま帰るのはもったいないのでちょこっと・・・。

 

菅平も寒かったけど下に降りてきても風は冷たいし寒い。上の気温は朝方氷点下17度、下に降りてこの時間でも氷点下6度。車の中のペットボトルは暫くしないと解けなかった。

家に帰ってきても夜の7時で氷点下・・・。車のフェンダー内側の雪はこの記事を書いている今日の時点でも解けていない。まったくびっくりだよ。

 

 

2018年1月25日      上田電鉄   舞田~中野。

川上村の男山の麓。

後ろに見える岩峰は男山。ここからは見えないが更に奥には天狗山そして馬越峠へと続く藪山の尾根。昔バイクでもツーリングした懐かしい峠。ある時は峠に車を置き天狗山に行く尾根で落ち葉の道に冬の日差しが素敵だったことが思い出される。

 

秩父困民党最後の交戦地が小海の馬流。彼らは海の口から広瀬、川上そして野辺山ヶ原に向かい離散逃散し霧のように消える。たぶんこのあたりの山々にも足跡を残し駆けていったのではないのだろうか。自由民権の旗のもと約十日間に及び時の政府に対抗し武力行使を行いさらに秩父から信州へ向かう。勢力拡大の考えが崩れ逃げてゆかざるおえなかった彼らはその時どんな気持ちで山々を歩いたのか・・・。

あるものはその後潜伏先の甲府やさらに東京で逮捕される。名もない農民たちは山中谷をさまよい秩父へ戻ったものもあったという。また名を隠し遠く北海道の地へ渡り死の間際に家族に打ち明け当時の新聞に記事が載った者もいた。

一斉蜂起約一万人、裁判にかけられたもの三千余人。

終わり無き旅に出た人々・・・。

 

今は国道や高速道路で見ると一見遠いように思える川上村と秩父市、しかし足を使っての峠越えであれば同じ運命共同体のような親戚とも呼べる山国の人々であった。信州転戦の指導者菊池貫平の故郷が北相木村であるのが当然ともいえるわけだ。

ここいら辺の景色がなんとなく落ち着いた気持ちになるのはそんな訳もあるような気がする。似ているんだよ秩父と・・・。

 

 

2018年1月2日      小海線   信濃川上~佐久広瀬。

 

 

 

野辺山ヶ原。

いつも思うのだが開拓地は何処も力強い。そしてどことなく寂しい。

 

かつて原生林だったところを人の手で切り開いたところは一見殺風景だが大地からひしひしと人々の営みが感じる。

大きな切り株を掘り起こすのは大変だっただろう、水を引く水路作りはどんなだったのだろう。寒冷地が故冷夏の年の生活は困難を極めたのでは・・・。

戦前戦後の開拓は北海道の屯田開発の頃とさして変わらない機械化とは程遠い人力によるもでさらに昭和30年前後の国や県の政策よるいわゆる人間の放牧ともいえる集団集約農場の政策は農協資本における機械化の裏にある借金経営で開拓民を縛り上げてきたのではなかろうか。一極集中は都市部に限ったことではなくて農村にも当てはまる。一部の成功者による大規模化とやがて離農者になるであろう貧困農場の構図。大規模機械化が出来てもその後起こる後継者問題・・・。こんなことを言うとマイナスばかりに思えるかもしれないが北海道の開拓地に付きまとうトライアル&エラーを見てきた自分にはどうも同じに見えてしまうのだ。

昭和40年代に始まった清里や野辺山の観光ブームで駅前や国道沿いの民宿ペンション土産物屋の乱立が始まる。50年代前半に清里へよく行ったのだかあの頃がピークだったようで今は昔ほどの賑わいは無いように思う。そして今はさらに外部資本によるトライアル&エラー・・・。

 

野辺山や清里の歴史を知りたいと思った。もっと地元の人に話を聞きたくなった。

なぜかそんな思いが湧く開拓地・・・。

 

 

 

2018年1月2日   小海線   信濃川上~野辺山。

 

 

朝日を浴びて今年最初の列車撮影。

早々に野宿場所から移動。車の外気温センサーは氷点下6度を指している。

 

全貌が見えない赤岳のそれでも質感は尾根筋や雲から感じられる。

タイフォンを鳴らし最高地点から川上へと野辺山ヶ原を進んだ列車がやってきた。

 

今年最初の鉄一枚。

 

 

2018年1月2日     小海線   信濃川上~野辺山。